3月24日受難週記念礼拝動画と説教要旨

礼拝動画

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説教要旨

イザ53章、Ⅰペテ2章 『羊のようにさまよう者のために』

『ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。

ひとりの男の子が私たちに与えられる。』イザヤ9:2・6(前半)

私たちのために生まれた男の子がどう歩み、どのような死を迎えるのか。その死にはどんな意味があるのか記されているのが、イザヤ書53章です。

(53:1~3)

救い主が乳飲み子として生まれる事をあらわしています。ところが救い主は人々の期待するような見栄えもなく、誰も相手にしないと言うのです。

(53:4~6) 

彼が私たちの病を負い、痛みを担っているのに私たちは、自分には関係が無いと、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。その姿はまさに、さまよう羊のようであったと言うのです。

(53:7~9) 

そして救い主は、屠り場に引かれて行く羊のように、理不尽な事々をすべて飲み込み、言い訳をせず屠られていったのでした。その死が、民の背きの罪の身代わりになされたのだとは、誰も考えもしなかったのでした。

(53:10~12)

これらの事は、主なる神様の御心によりました。救い主が、自らのいのちを代償のささげ物とするなら、末長く子孫を見ることができ、御心は救い主によって成し遂げられる、と言うのです。ここには、救い主が犠牲となって死んで終わるのでは無く、彼の身代わりによって救われる子孫たちを末長く見るとあり、この箇所は復活があらわされていると言われます。

私たちは知っています。イザヤ書53章に示されているのは、救い主イエス様の御生涯。さまよう羊のために身代わりの死をとげられ、よみがえられた事を。それを受け止め、信じ、イエス様を心に迎える一人一人に救いが与えられ、肉体の死で終わらない、永遠のいのちが与えられるのです。