ヨハネの黙示録21章3節(抜粋)
少し前に、体調を崩しコロナ陽性と診断されて療養しているとき、岡山英雄牧師が装された、「天国と極楽~キリスト教と仏教の死生観」を読み直し、多くの示唆を与えられました。仏教が釈迦以来、「無を悟っていく」ことが教えの中心にあるのに対して、キリスト教では聖書に基づいて、「わたしはある」(出3:14)とご自身をモーセにあらわされた神の実存性が教えの中心にあります。霊的なお方であられる神は、肉体をとられる神の御子、救い主イエス様をこの地に送られました。イエス様も「わたしはある」(ヨハネ8:58)とご自身をあらわされました。
一般的に、「人間は死んだら天国に行く」などと言われますが、聖書から教えられる事は、そんなに単純ではありません。聖書で教えられている事は、おおむね次のようになるでしょう。
1)イエス様を信じて罪の罰から教われ、永遠のいのちを与えられた者が肉体の死を迎えた時、信仰者のたましいは肉体を離れ、すみやかにパラダイス・天の御国に移されます。そこでイエス様とお会いするのです。その根拠は、ルカの福音書23章43節です。イエス様が十字架の上でイエス様を信じた強盗に言われた、「あなたは今日、わたしと共にバラダイスにいます。」という御言葉です。
2)やがて時が来て、イエス様がこの地に再臨をなさるその時、天の御国で過ごして来た一人一人は、イエス様と同じように栄光のからだを与えられ、イエス様と共に地上そばまで降(くだ)り、その時に地上に生きる信仰者一人一人はそのまま栄光のからだにされ、空中でイエス様と御国から降ってきた信仰者たちに合流します。その根拠は、テサロニケ人への手紙第一4章13~18節にあります。
3)その後、不完全な天地は、新しい天地とされ、栄光のからだを与えられた信仰者たちは、いつまでも新天新地で過ごすのです。その根拠が、ヨハネの黙示録21章にあるのです。

黙示録21章に書かれている事は、やがて未来に起こる出来事です。父なる神様は、私たちが今の不確かな世を生きていく希望として、これを書き記すよう、使徒ヨハネに命じられました。そうした未来の希望に支えられて今この地を、イエス様の御側にともなわれて過ごすのです。「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」(マタイ28:20)さあ、イエス様の臨在に伴われ、私たちも神の家族として、「ともに」歩み続けようではありませんか。
(by 牧師、2026年2月15日太田熊谷教会・合同礼拝メッセージより)
