ピリビ人への手紙2章3~4節
11月30日(日)、アドベント第1週の礼拝では、ピリピ人への手紙2章6~8節を開いて読みました。神様であるのに人間としてこの地にお生まれになられ、何よりも高いところにいるお方が、ご自分を低くされて僕(しそ)の姿になり、十字架の死にまでも従われた、イエス様のご降誕について思いを向けました。そして2025年最後の主日12月28日(日)に、もう一度ピリピ人への手紙2章を開いています。使徒パウロは、現在のギリシャ、エーゲ海に面したビリピの町のキリスト者たちに手紙を書いて、彼らを励ましました。
パウロは、イエス様の降誕について書くと共に、一番高くあられる方がご自身を低くされた、その謙遜な姿にならって、ピリピとその周辺に住むクリスチャン達めいめいが謙遜になり、共に歩んでいる兄弟姉妹、神の家族の一人ひとりを自分よりもすぐれた者と思うようにと奨めます。
お互いに、自分の事だけでなく、ほかの人を顧みるように勧めながら、5節にあるように、「キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱くように」と言っているのです。
リビング・バイブルでは5節を、「私たちに対するキリスト・イエスの態度を見習いなさい。」と訳しています。そして6節から8節は、「イエス様がこの地に人間として生まれて下さったのは、私たち一人ひとりを大切にするあまりにご自分を顧みずに犠牲となられた、それほどの、私たちに対する思いがあふれた結果なのだ」、そう教えられました。
そして、ビリピの信徒たちが、パウロから勧められて仕方なくそうする、という事ではなく、イエス様のうちにある思いがイエス様を信じる一人一人の内に満ち、あふれるように兄弟姉妹へと向かって行くという事であって、御言葉を読む私たちもまた、イエス様のうちにあるこの思いに満たされ、それが溢れるように、教会の兄弟姉妹へと、家族へと、友人へと、地域の人々へと向かって行く、そういう事なのだと教えられています。

2025年を振り返ってみると、この教会は少しずつ変わってきたように思います。教会のお一人お一人が、一歩も二歩も、イエス様に近づいた、そんな感じがしています。お一人お一人が多くを忍耐し、また苦労をされた事を覚え、心から感謝致します。
新しい年が来ようとしています。お一人お一人に、続いて神様からの守りと祝福を祈って参ります。私たちの内が聖霊に満たされ、イエス様の思いに溢れて、喜びと平安の内に、自然と謙遜な心にされ、人を思いやる心とされて、共に歩んで行けるように、お祈りを致します。
(by 牧師)
