ガラテヤ人への手紙3章13節
申命記では、モーセがイスラエルの民に向かって繰り返し語っています。「私たちイスラエルの民はアブラハム以来、神様と契約を結んで歩んできた。それは、祝福と呪いの契約だ。私たちが神様を信じ、その教えを守るなら、神様は私たちを祝福し災いから守って下さる。もし私たちが神様を無視して神様以外のものを自分たちの神として生きるなら、呪いが待っている。私たちは祝福を取り去られ、与えられた土地から追い散らされてしまう。」
これを聞いていた新しい世代の民は、まさか自分たちが神様から離れて追い散らされる未来など想像もしていなかった事でしょう。しかし申命記30章には、そうした未来が描かれているのです。「私たちイスラエルの子孫たちが神様から心離れ、神様を無視して歩み、国が滅ぼされて追い散らされるような事があっても、神様に悔い改めて立ち返るなら、そこから神様はイスラエルの民を約束の地へと集め、祝福を回復してくださる。」そして、実際のイスラエルの歴史がまさに、この申命記30章の通りになっています。
新約聖書が書かれた後の紀元70年、イスラエルの民がローマ帝国に反抗して暴動となり、混乱の中でエルサレム神殿は破壊され、イスラエルの民は、完全に追い出されてしまいます。この時民は土地を失い、国を失い、実際に世界中に散らされてしまうのです。
第二次世界大戦の時、ナチス・ドイツによってユダヤ人が大量虐殺されたホロコーストが起こりました。そして第二次世界大戦が終わると、悲惨なホロコーストの犠牲となったユダヤ人たちに国を用意しようという運動が世界中で起こり、実際に1948年、カナンの地にイスラエル国が建国されたのでした。
イスラエルの民をはじめとして、人間は誰も、神様の前に真実に歩む事が出来ない、罪の性質・自己中心の性質を帯びています。私たちの主イエス様は人として歩まれ、それを肌身で感じ取られました。そして新しい契約を自ら用意して下さったのです。人が罪の故に引き受けるべき呪いを、自らが十字架にかかって負ってくださいました。そして、木にかけられて身代わりに呪われて下さったイエス様を信じる者を、罪による呪いから解放して下さるのです。

(by 牧師)