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週報


説教要旨
詩篇42篇1~5節「生ける神を求める心の渇き」
『鹿が谷川の流れを慕いあえぐように神よ私のたましいはあなたを慕いあえぎます。』(1節)
鹿が谷川の流れを慕いあえぐとは、どんな状況なのでしょうか。
いつもの行動範囲内に水があるならば、鹿は水を慕いあえぐことは無いでしょう。水が枯れている。しかし水がないと鹿は生きてはいけない。そんな時、谷底にわずかに流れている水を求めて、鹿は谷の深みへと降りていくのです。
日々の暮しが穏やかであるような時、「神様を慕いあえぐ」ということは無いでしょう。しかし現実の生活があまりにも厳しく、枯渇した状況に向き合う時がある。そういった状況になって初めて人は、渇きを潤す水を求め、その思いを深みへと向けていくのです。たましいに渇きを覚えるような、激しい苦しみを経験して初めて、人は神様に心を向けていくのです。
『私のたましいは 神を生ける神を求めて渇いています。』(2節前半)
苦しみの中で仰者は、生ける神を求めています。生きている神様と、人格的な関わり、交わりをすることで、心の渇きを満たそうとしているのです。イスラエルの民にとって神様は、遠くのどこかにいて、災いをもたらしたり罰を与えたりするような、只々恐ろしい存在ではありません。ご自身の造られた天地万物を、特にご自身と交わる者として造った人に関心を示し、愛を示され、交わりを求められる、まさに生ける神なのです。
こうして、苦しみの中にある仰者と生ける神様との、霊的な交流がなされています。そして信仰者は、5節にあるように、自身のたましいに呼びかけ、神様の救いを待ち望むよう呼び掛けるのです。