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説教要旨
『神と生きるとは』創世記 45章4~5節
今日は創世記45章1~8節より「神と生きるとは」と題してお話します。
この創世記45章はヨセフ物語のクライマックスの場面です。ヨセフは親から特別に愛され、神からも選ばれた者です。けれども見たちはそんなヨセフを妬み、憎しみの対象として見ていたのです。
兄たちの妬みはヨセフを結果としてエジプトの奴隷として売ることになります。そこからヨセフの人生には様々な試練が伴うことになるのです。しかし聖書は「主がヨセフとともにおられた」と記しています(創世記39章)。主はヨセフがどんな困難の中においても脱出の道を備るようにともにおられたというのです。そしてヨセフは主の導きによりエジプトの大臣になります。
その時、世界は飢饉が訪れていましたが、エジプトだけはヨセフを通してその飢饉に対する備えをしていたのです。各地からエジプトに食糧を買いにやってくるのですが、その中に見たちの一行がいたのです。その再会が創世記45章の場面です。ヨセフは兄たちにこう言います。5節「神はあなたがたより先に私を遣わし、いのちを救うようにしてくださいました。」7節「また、大いなる救いによって、あなたがたを生き延びさせるためだった」と。このいのちを救うことと、大いなる救いとは私たちにとって、ガラテヤ書4章4~5節の言葉に繋がるのです。
そして今週の聖句8節「私をここに遣わしたのは、あなたがではなく、神なのです」と。これはヨセフが見たちに語った言葉でしたが、私たちはこの言葉をあたかもイエス・キリストが言られたように聞くことができないでしょうか。すなわち、「神と生きるとは」、イエスを通して神とともに歩むということです。それも神の家族として、家族的な関係(ガラテヤ4:4~5)をもってともに歩むということです。