7月21日礼拝動画と説教要旨

礼拝動画

YouTube player

説教要旨

「御霊によって造り変えられる』ガラテヤ5章24〜26節
「イエス・キリストと一つに合わせられて、聖なる者へと造り変えられて行く」事を、あと一歩深めるために、ガラテヤ人への手紙 5章後半、18節から26節を読んで頂きました。
イエス・キリストを、私の救い主と心に迎え入れた者は、律法の下にはいなくても、内に住まれる聖霊・霊に導かれて、19~21節のような肉のわざに留まっておらず、22~23節にあるような御霊の実を結ぶ者へと造り変えられていくのです。
24節では、『キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、情欲や欲望とともに十字架につけたのです。』とあります。2章では、『十字架につけられました」と受動的に書かれ、5章24節では、『十字架につけたのです』とあるのです。十字架につけられた事を覚えつつ、自らも能動的に応答するのです。そして25節では、『私たちは、御霊によって生きているのなら、御霊によって進もうではありませんか。』とあり、私たちの信仰による積極的な応答が求められているのです。
26節では、「うぬぼれて、互いに挑み合ったり、ねたみ合ったりしないようにしましょう。」と、19~21節で言われた事の一部が繰り返されています。何故でしょうか?
淫らな行い、偶像礼拝、泥酔というような、分かりやすい肉のわざに対して、分かりにくい肉のわざであるからでは無いでしょうか?おそらくはガラテヤ教会の中に、うぬぼれて互いに挑み合ったり、ねたみ合ったりという事が横行していたのでしょう。