5月5日礼拝動画と説教要旨

礼拝動画

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説教要旨

『律法を行うことによってではなく」ガラテヤ2:15〜


① 法を行うことによってではなく
16節を見ると、「律法を行うことによってではなく」という言葉が2度繰り返されているのが分かります。パウロは、かつてはパリサイ派の律法学者でした。律法を守り行うことが神様に喜ばれると言じていた事でしょう。逆に言うなら、律法を守り行わないなら神様の怒りを買い、罰を受けると宿じていた事でしょう。
しかし、このガラテヤ人への手紙2章後半では、キリストに出会い、言じてクリスチャンになったパウロの信仰告白が書いてあるのです。パウロが繰り返し主張するのは、人が神様の救いを受けるのは、「律法を行うことによってではない」という事です。


②イエス・キリストをじることによって次に、律法を行うことによってではないのなら、何によって救われるのかを、パウロは述べています(16節)。『しかし、人は律法を行うことによってではなく、ただイエス・キリストを言じることによって義と認められると知って、私たちもキリスト・イエスをじました。律法を行うことによってではなく、キリストを言じることによって義と認められるためです。』ここに、「イエス・キリストを備じることによって義と認められる」とあります。しかも、これも繰り返されています。なぜでしようか?そう、大切な事だからです。「義と認められる」という言葉は少し難しいですが、「罪を赦されて正しいと認められる」という意味です。もっと簡単に言うなら、「救われる」という事です。
「イエス・キリストを言じることによって救われる」と、パウロは繰り返すのです。