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週報

説教要旨
「よろこんで仕える」
IIコリント
8章7~15節
1神様に仕えることの動機はよろこび
神様のためにはたらくことは、義務ではなく、よろこびが出発点で無ければならない。いつもよろこんでとはいうもののよろこべないときもあるそれは、宿仰の主語が自分にあると目に見える成果がないときや実行することに困難さを感じるときには、よろこびをもてない。よろこびが自分の感情の起伏によるものなら、状況によって揺れ動くのは当然である。喜怒哀楽の喜であるなら、気分によって安定しない心許ないものとなる。
信仰が主とともに歩むことであるなら、神様のために行うこと全てに内面から湧き起こるよろこびが生じてくる。主語が神様にあるなら、ゆらぐことはない。
2 よろんで従う根拠は神様がともに歩んでくださること
①神様が、よろこんで行うことへの保証をしてくださる神様の一方的な愛によって救いは成し遂げられた。だから、「常によろこべ」(テサ15:16)ということができるのである。悟りでも諦観でもない。
主語が神様なら、「そうなることになっている」のである。
② イエス様が模範
「貧しくなることによって豊かになる」「低くなることによって高くなる」ことの見本をイエス様が示してくださった。であるから、貧しくなること、低くなることに躊躇する必要は無い。
3結果的に自らの益となる
神様は<人間>という一括りで見ておられない。あなたと一対一で向き合ってくださる。他人との比較でなく神様がどうなされようとしているのか、に目を向けること。平等とは全く同一では無く、神の愛と使命において公平であるということである。あなたにとって益となっていることを忘れない。
