「熊谷キリスト教会月報2025年11月」より

キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、ご自分を低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。

ピピリピ人への手紙2章6~8節

ここには、救い主イエス様のお生まれ、降誕について書かれています。わかりやすくすると、こんな感じになるでしょう。

「救い主イエス様は、神様であるのに、人間としてこの地にお生まれになりました。本当なら何よりも高いところにいるお方が、ご自分を低くされて僕(しもべ)の姿になり、十字架の死にまでも従われたのです。」

救い主イエス様は神様ですから、死ぬことのないお方のはずです。ところがイエス様は、神様としてのあり方を捨てて人間として生まれて下さり、人間なら誰もが通らなくてはならない死を、身をもって味わわれたのです。しかもその死は、人間として最も卑しい、犯罪人として処刑されるというものでした。

「十字架の死にまで従われた」とあります。これは、ご自分の命を犠牲にして人間に命を与えるという、救い主としての使命に従われたという意味があるのです。

イエス様がお生まれになるおよそ700年前に、預言者イザヤは、やがてメシア・救い主をこの地に送られるという預言の数々を神様から受け取っていました。

メシアはダビデ王の系図の中に、男の子として生まれ、弱っている者を大切にする優しさを持ち、イスラエルの回復だけではなく、世界中の光となる事、そして「苦難のしもべ」として、人々が神様とのつながりを回復してまことの命を持つ為に、ご自身のいのちを犠牲にする事が、メシア預言に描かれているのです。

クロガネモチ

私たちは知っているのです。これらのメシア預言は、イザヤの時代から700年が過ぎるころ、イスラエルで、ベツレヘムの馬小屋で実現したのです。これがクリスマスです。おとぎ話ではなく、 歴史の中に起きた奇跡なのです。そしてこの神様の奇跡は、あなたが神様との交わりを持ち、永遠のいのちを持つことが出来るようにという、三位一体の神様からの愛の贈り物なのです。

さあ、あなたの心に、救い主イエス様をお迎えしましょう。

(by 牧師)