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週報

説教要旨
「ダビデの子ヨセフよ、恐れずに」マタイ1章18~25節アブラハムの子としてイスラエル民族に、ダビデの子として王の家系にメシアが生まれるという預言を系図に著したマタイは、続いてダビデ王家の末裔にあたるヨセフに注目しました。
ヨセフは、マリアと婚約していて夫となる人物であり、正しい人でした。ところが二人がまだ一緒にならないうちに、マリアが身ごもっている事が分かったのでした。その身ごもりが聖霊なる神様の御業による事も分かったとあります(18節)。恐らくマリアから、使いの御告げがあったと聞かされていたのでしょう。
ところがヨセフは、『さらし者にしたくなかったので、ひそかに離縁しようと思った』とあります(19節)。神様の前にも人の前にも正しい人であったヨセフは、どんな心境だったでしょうか?
ヨセフは「このことを思い巡らしていたところ、見よ、主の使いが夢に現れて』とあります(20節)。きっとヨセフは、寝ても覚めてもこの事を思い巡らしていたのでしょう。
『ダビデの子ヨセフよ、恐れずに』とあります。御使いの言葉から、ヨセフが「恐れていた」事がわかります。原語ギリシャ語の聖書では、「恐れ、心配」を表すフォーボーが使われているのですが、ルカ 1章13節「恐れることはありません、ザカリヤ。」にまたルカ1章30節「恐れることはありません、マリア。」に、何と、同じフォーボーが使われています。
恐れをいだいたザカリヤやマリアが、やがて聖霊に満たされ、恐れから解放されて讃歌をささげたように、ヨセフもまた、神様と人との前に正しい者として何をすべきかを決断したようです。
