11月30日の礼拝動画と説教要旨

礼拝動画

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説教要旨

「神の御姿であられるのに」ピリピ2章6~8節
新約聖書・ピリピ人への手紙2章6節から8節には、救い主イエス様のお生まれ、降誕について書かれています。今日のテキストを、わかりやすくすると、こんな感じになるでしょう。
『救い主イエス様は、神様であるのに、人間としてこの地にお生まれになりました。本当なら何よりも高いところにいるお方が、ご自分を低くされて僕(シモベ)の姿になり、十字架の死にまでも従われたのです。』
救い主イエス様は神様ですから、死ぬことのないお方のはずです。ところがイエス様は、神様としてのあり方を捨てて人間として生まれて下さり、人間なら誰もが通らなくてはならない死を、身をもって味わわれたのです。しかもその死は、人間として最も卑しい、罪人として処刑されるというものでした。
「十字架の死にまで従われた」とあります。これは、ご自分の命を犠牲にして人間に命を与えるという、救い主としての使命に従われたという意味があるのです。
預言を神様から受け取り、人々に伝えた預言者イザヤは、幾つもの救い主誕生の預言を伝えました。
①イザヤ書4章
2節(1173ページ)
②イザヤ書7章
14節(1178ページ)
③イザヤ書9章
6〜7節(118 1ページ)
④イザヤ書4 2章
1〜3節(1235ページ)
⑤イザヤ書49章
6節(125 1ページ)
⑥イザヤ書5 3章1〜12節(1258ページ)
メシアはダビデ王の系図の中に男の子として生まれ、弱った者を大切にする優しさを持ち、イスラエルの回復だけではなく世界中の光となる事、そして「苦難のしもべ」として、真の命を人々に与える為、ご自身の命を犠牲にする事が描かれているのです。