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週報


説教要旨
詩篇42篇6~11節「苦しみと試練の違い」
6月15・22日、ヨナ書を読みました。ヨナが魚のお腹の中で神様に祈った言葉の中に詩篇42篇7節が引用されています。
「あなたは私を深いところに、海の真中に投げ込まれました。
潮の流れが私を囲み、あなたの波、あなたの大波がみな、私の上を越えて行きました。』ヨナ2:3
『あなたの大滝のとどろきに 淵が淵を呼び起こしあなたの波あなたの大波はみな私の上を越えて行きました。』詩 42:7
(6節)
詩篇作者は、ヨルダン川の源流があるヘルモン山の近くにいたようです。ミツアルの山とは、「小さい峰」という意味で、ヘルモン山の一部と考えられます。南北に長い地形のイスラエルの北の果て、またはイスラエルの国境を越えた北の国かも知れません。
この詩篇は、どんな状況で作られたのでしょうか。ある人は、アッシリヤまたはバビロンによって捕えられ、故郷から遠く離れた地に連れて来られた、捕囚の民の姿ではないかと考えます。
またある人は、ダビデが、サウル王または息子アブシャロムに追われてエルサレムを離れた時に詠んだものと考えます。
あるいは、実際にヘルモン山の近くにいたのではなく、神様を礼拝する事が出来なくなっている心の状態を、エルサレムから遠く離れてヘルモン山にいると、表現しているのかも知れません。
(7節~)
7節以降を読むと、宿仰者が「苦しみ」の状態にある事がわかります。それでも宿仰者は、苦しみの中で神様へと思いを向けています。単なる苦しみを越えて「試練」となっているのです。
「試練」は、下を向いている私たちを上に向かせ、神様からの呼びかけに気づかせます。