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週報


説教要旨
ヨハネ12章23~36節
「光のこどもとなれるように」
過越しの祭が数日後に迫っている時、「人の子が栄光を受ける時が来ました。」とイエス様が宜言され、続いて有名な、「一粒の麦」のたとえ話をなさったとあります。イエス様は、ご自身の栄光を現わすその時を、過越の祭りの時と定められたようです。
過越しの祭の前エルサレムの町では、ロバに乗って入城されたイエス様を大勢の人々が取り囲んでいたようです。それによって大勢の人々が、この方は預言者たちによって伝えられてきたメシア・救い主なのか?と、関心を持っていたことがわかります。どうして、それほどまで人々はイエス様に関心を持ったのか、一つの答えが、12章17~18節にあります。この数日前に、エルサレムから近いベタニヤ村で、死んだラザロをイエス様が墓からよみがえらせたことが、人々の評判になっていたからでした。
イエス様に関心を示した人々は、その後どうなったでしょう?
(12章37~41節)。
38節に、イザヤ書5 3章1節が引用されていて、40節に、イザヤが預言者に召された時に神様から語られた、イザヤ書6章
10節が引用されています。預言者イザヤを通して伝えられているように、神様は人々が、自分の知恵で真理を理解することのないようにされました。そうして37節にある通り、大勢の人々はイエス様をメシア・救い主とじなかったのでした。
では、私たちはどうしたら良いのでしょうか?そのヒントが、
12章36節にあります。光であるイエス様が私たちに近づかれ私たちを照らし、光の子どもとなれるようにされているのです。