ルカの福音書2章28~29節(抜粋)
新約聖書ルカの福音書2章の前半には、有名なクリスマスの出来事が記されています。エルサレムに程近いベツレヘムの家畜小屋で、ダビデ王の子孫にあたるヨセフとその妻マリアに、男の赤ちゃんが生まれました。ヨセフとマリアは生まれて間もない我が子イエスを、エルサレムの神殿に連れて行きました。イスラエルでは、男の子が生まれてから8日目に割礼を施し、その後できよめの期間を過ごしてから神殿に行き、いけにえをささげることが習わしとなっていたようです。おそらくは家畜小屋での出産の後で、しばらくベツレヘムに留まり(家畜小屋ではなかったでしょうが)、8日目に割礼を施した後で1週間のきよめの期間を過ごした後、エルサレムの神殿を詣でたのです。ご降誕から約15日後、まさに、人となられた神様であるイエス様にとっての、「晴れの日」です。
ヨセフとマリアが幼子を連れて神殿に入った時、シメオンという老人に会いました。「この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルが慰められるのを待ち望んでいた。また、聖霊が彼の上におられた。そして、主のキリストを見るまでは、決して死を見ることはないと、聖霊のお告げを受けていた。」と紹介されています。するとシメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえたのでした。「主よ。今こそあなたは、おことばとおり、しもべを安らかに去らせてくださいます。私の目があなたの御救いを見たからです。」これは、「主のキリストを見るまでは、決して死を見ることはないと、聖霊のお告げを受けていた。」事がとうとう今実現したという、喜びの叫びなのです。
幼子を抱き上げたシメオンは、こう言うのです。「ああ、これで安らかに神様の元に召される事ができる。」こうして、エルサレムの神殿では、ヨセフとマリア夫妻とイエス様にとって、また救い主イエス様と会うという特別な時を迎えたシメオン爺さんにとっても、晴れの日となったのです。人生には、自分ではどうする事も出来ないような、困難や苦しみがあるものです。そんな時には思い起こしてほしいのです。あなたを大切に思い、あなたを救い、あなたと共に歩むために、2000年前に十字架にかかられたイエス様の事を。イエス様は、あなたが信じた時から、目には見えませんがあなたと共におられます。イエス様と共に歩む人生は、祝福に満ちています。たとえ、人生の最大の不幸と誰もが考える肉体の死でさえも、不幸では終わらず、肉体の死は、私たちの霊・たましいが、肉体を離れて父なる神様のみもと天国へと移される、「晴れの日」となるのです。これから、あなたが経験する幾つもの「晴れの日」に、イエス様が共にいて下さいますように。

(by 牧師)