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説教要旨
『思い巡らしたヨセフ』マタイ1章18~25節
20節のはじめに、『彼がこのことを思い巡らしていたところ』とあります。そしてこう続くのです。『見よ、主の使いが夢に現れて言った。
「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その船に宿っている子は聖霊によるのです。マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」』
ヨセフは、この御告げによって、マリアを妻に迎え入れる事を決心したのでした。イスラエル民族に伝えられてきた約束をも、思い巡らしたのではないでしょうか。
『見よ。処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。(イザヤ7:14)』
「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に就いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これを支える。今よりとこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。(イザヤ9:6~7)』
【思い巡らす事の大切さ】
思い巡らすとは、「大切な事に深く思いを向け続ける事」です。それは大切な営みです。マリアもまた、使いの御告げを聞いて、「これはいったい何の挨拶かと考え込んだ(ルカ1:29)」とあります。思い巡らした上で、御言葉によって、確言が与えられていきました。
また、「思い巡らす」事と共に、自分一人で背負い込み過ぎない事も、大切だと考えます。私たちは誰も、自分一人では背負いきれない重荷があるのです。マリアにとってのエリサベツ、ヨセフにとってのマリアのような、共に思い巡らす存在を、私たちは必要としています。
そして何より、「わたしのもとに来なさい。そして重荷を降ろしなさい。」と、私たちを側に招かれる、救い主イエス様を、私たちは必要としているのです。