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説教要旨
「言葉に心を備えたマリア」ルカ1章26〜38節
今からおよそ2030年前、イスラエルのナザレに住む、一人の乙女マリアのところに、使いガブリエルが、神様から遣わされてきました。突然の出来事でした。やがて彼女は、いいなづけであるダビデの家系のヨセフと結婚をすることになっていましたが、使いは告げていくのです。マリアがヨセフとの結婚によってではなく、聖霊なる神の力によって、男の子を宿すことを。
最初、ひどく戸惑っていたマリアでしたが、彼女は主なる神様を信じており、不思議な光景や、御使いからの言葉が、信じる神様の御思いであることを仰によって受け止めたのでした。
「おことばどおり、この身になりますように。」この言葉に思いを向けてみましょう。誰でも、自分の計画や理想を思い描くものです。きっとマリアも、近い将来にヨセフと結婚し、ごく普通の家庭を築いていく事を、思い描いていたのではないでしょうか。そこに突然と告げられていった御使いの言葉は、思い描いていた将来を、大きく方向転換しなくてはならないものだったのです。
「おことばどおり、この身になりますように。」この言葉の背後には、自分の計画や理想がなることよりも、神様の御思い、ご計画がなることを優先する意思と、御言葉の約束が必ず成されるという、借仰があるのです。
マリアに救い主の母としての役割が与えられたように、私たち一人一人にも、神様によって様々な役割が与えられています。そして、それを私たちが今与えられている信仰によって受け止めることが出来るように、神様はみことばによって励ますのです。また、私たちがこうして集っている教会の兄弟姉妹、神の家族によって励まし合いながら、私たちも少しずつ、自分を神様にささげて歩んでいきたいものです。