「熊谷キリスト教会 月報 2024年9月」より

苦しみにあったことは私にとって幸せでした。 それにより私はあなたのおきてを学びました。

詩篇119篇71節

私たちが日々の営みの中で経験する様々な出来事の中で、「苦しみ」というものは、できるならば自分から遠ざけておきたいことの一つだと思います。私たちは誰でも、「幸せになりたい」という純粋な欲求があるものですよね。

そして幸せの対極にあるものの一つに、「苦しみ」はあるように思うのです。ところが聖書の中には、こんなことが書いてあります。

「苦しみにあったことは、私にとってしあわせでした。」

これを書いた人はもしかすると私たちとは違う感覚の持ち主だったのかも知れません。しかしその詩篇の言葉には続きがあります。

「私はそれで、あなたのおきてを学びました。」

つまり、ある苦しみを通して、大切な何かを学ぶことができ、それは幸せに通じていくというのです。そういう視点で言うなら、私達も苦しみを経験することによって、大切な何かを学ぶということは、確かにあるのではないでしょうか。

愛なる神様は、神様を信じる人に、どんな災いにも会わせず、幸せと楽しみだけを降り注ぐお方ではありません。その人を、より豊かな幸いに導くために、時に悲しみや苦しみをも許されるのです。そして神様を信じない人に起こる災いも、単にその人を苦しめるための災いではなく、それを通して大切なものに気がつかせるという側面もあるのではないでしょうか。神様は、すべてのことを通して、一人でも多くの人が神様を知り、共に歩むことを願っておられるのです。なぜなら、神様と共に歩むことこそが、真の幸いであるからです。

人生のありとあらゆる繁栄を楽しみ、時には神を離れて歩んだけれども、晩年に神様の元へと帰った伝道者は言いました。

「順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。これもあれも神のなさること。それは後の事を人にわからせないためである。」

そして、伝道者の書は、こう締めくくられています。

「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」

逆境の時代に、一人でも多くの人が神様を信じる者とされますように。私たちも、逆境を通される事によって、より神様に祈る者とされ、より神様に頼る者とされ、より神様に近く歩む者とされますように。

耐えられない試練には決してあわせられないとの、御言葉の約束を信じつつ。

スーパーの駐車場の植樹

(by 牧師)