「熊谷キリスト教会 月報 2024年8月」より

すると天から声がした。「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。」

マルコの福音書1章11節

(マルコ1:1~4) イエス様が生まれた時からおよそ700年前のイスラエルに生きた預言者イザヤが、神様から預けられた言葉の中に、『救い主の道を備える者が現れ、「主の道を用意せよ。主の通られる道をまっすぐにせよ。」と叫ぶ』とあり、その預言通りにバプテスマ(洗礼者)のヨハネが荒野に現れたと、マルコは記しました。

(1) 悔改めのバプテスマ (マルコ1:4~5) バプテスマという言葉には、「浸す」とか、「沈む」という意味があるそうです。単純に、「船が水の中に沈む」という時も、バプテスマの原語バプティゾーという動詞が使われるそうです。バプテスマのヨハネ以前には、ユダヤ教の習慣や儀式の中で、汚れからのきよめをあらわす沐浴をすることによって、神様に立ち返る事を表してきたのだそうです。そして、ヨハネがユダヤ地方の荒野に現れて、人々に、「神の国が近づいた。救い主がいよいよ来ようとしている。心を神に向けるために、悔い改めよ!」と説き、ヨハネの前にやって来た人々は、自分の罪を悔い改め、バプテスマを受けたのです。悔い改めのバプテスマとは、神様から離れて汚れの中を歩んでいた者が、神様へと方向転換して立ち返り、罪の汚れをきよめられて神様に帰依して歩むために、水に浸される事です。

(2) 聖霊によるバプテスマ (マルコ1:7~8) 「浸す」「沈む」から派生して、バプテスマには、「一体となる」「同化する」という意味があります。そしてバプテスマのヨハネは、自分の後に来られる救い主について、「この方は聖霊のバプテスマをお授けになります。」と人々に指し示したのでした。聖霊によるバプテスマとは、イエス様を信じた者が、聖霊と一体とされ、それによって三位一体の、天の父、御子イエス、聖霊なる神様と共に歩む者とされる事を意味するのです。

(3) 天の父からの祝福 (マルコ1:9~11) 救い主イエス様のお生まれはベツレヘムの家畜小屋でした。やがて一家はイスラエル北部、ガリラヤ湖にほど近いナザレの町で暮らし、イエス様はおよそ30歳の頃から3年に渡って、救い主としての公の歩みをなさいました。その公生涯の始めに、ガリラヤのナザレからヨルダン川のヨハネのもとに、イエス様が来られ、洗礼を受けられたと言うのです。洗礼を受けたイエス様が、水の中から上がると、天が裂けて御霊が鳩のように降り、そして天から声がしました。「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。」

洗礼は、イエス様を信じた事を公に表明する事です。そして洗礼にあずかる私たち一人一人もまた、イエス様を通して天の父からの祝福を受ける者とされています。その祝福は、洗礼を受けた時だけでなく、いつまでも続くのです。今もこれからも、私たちにかけられている祝福の声を忘れないようにしましょう。「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。」

市内の公園で見かけたキノコ

(by 牧師)