8月25日礼拝動画と説教要旨

礼拝動画

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説教要旨

『イエス様に与えられた使命』ルカ4:14〜22
先週は海外に宜教師として遣わされている、熊井先生ご夫妻を当教会にお招きする事が出来ました。
熊井先生が開かれた旧約聖書イザヤ書6 1章は、こう始まります。『神である主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、心の傷ついた者を癒すため、主はわたしに油をそそぎ、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ、主の恵みの年、われらの神の復讐の日を告げ、すべての嘆き悲しむ者を慰めるために。シオンの嘆き悲しむ者たちに灰の代わりに頭の飾りを、嘆きの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるために。彼らは、義の樫の木、栄光を現す、主の植木と呼ばれる。』
このイザヤ書61章1~3節に出て来る「わたし」は、ひらがなで「わたし」とあります。新改訳聖書では、神ご自身を指す「わたし」はひらがなで表されます。ここではイザヤに示されたメシア・救い主をさして「わたし」と言われているのです。
ある安息日、イエス様が幼い頃から育った、ガリラヤ湖にほど近いナザレの町の会堂に入りました。聖書を読しようとして集まっている人々の前に立たれた時、手渡された巻物は、預言者イザヤの書でした。そして、その巻物を手にしたイエス様が、朗読した箇所がまさに、イザヤ書61章の始めであったのでした。
イエス様は、まさにこの時ご自身をもって、この預言が成就したことを、高らかに言なさったのでした。
こうしてイエス様は、神の御子・救い主として、ご自身の使命を、確認されたのでした。それは、「貧しい人々に福音を伝える」という使命なのです。