マルコの福音書16章15節
イエス様は、鞭打ちにされた後で、十字架を担ぎ、ゴルゴタへの道を歩いて行きました。ところがその途中、刑を執行する兵士たちは、そこに居合わせたクレネ人シモンという人物を捕えて、十字架をイエス様の代わりに担がせたのでした。イエス様が、鞭打ちなどで、疲労困憊していて、何度も倒れていたようです。
このクレネ人シモンは、自分の意思でイエス様を助けたのではありませんでした。たまたまそこにいて、ローマの兵隊から命令されて無理やりに十字架を担がされたのでした。
15章21節に、こう書いてあります。
マルコの福音書15章21節
何と、マルコの福音書を書いたマルコは、このクレネ人シモンを知っていたようです。
クレネとは、北アフリカにある大都市とのことです。おそらくシモンはユダヤ教の信徒で、過越しの祭のために、北アフリカのクレネからエルサレムに巡礼の旅をし、そこに居たと考えられているのです。そして、マルコが福音書を書いたときには、アレクサンドロとルフォスという息子たちがいて、それをマルコが知っていたのです。
15章21節の欄外を見ると、”ロマ一六13″とあります。新約聖書ローマ人への手紙16章13節には、次のように書いてあります。
ローマ人への手紙16章13節
つまり、クレネ人シモンの息子ルフォスが、「主にあって選ばれた人」と言われているのです。また、「彼と私の母によろしく」とは、ローマ人への手紙を書いたパウロが、ルフォスの母すなわちクレネ人シモンの妻を、自分の母のように慕っていることが分かるのです。
こうして、たまたま居合わせただけなのに、無理やりに十字架を担がされ、イエス様と共にゴルゴタの丘へと歩いたクレネ人シモンが、やがて妻や子どもたちと共に、イエス様への信仰を持っていったようなのです。
こうしてクレネ人シモンは、イエス様の十字架を担がされた事で、イエス様を救い主と信じる者となり、妻や子どもたち家族も信じる者とされていったのでした。クレネ人シモンは、イエス様の十字架の証人となったのでした。
上記(マルコの福音書16章15節)の御言葉は、十字架で死なれたイエス様が復活した後、弟子たちに言われた言葉です。クレネ人シモンがイエス様を救い主と信じ、家族に救いが広がって行ったように、私たちもまた、イエス様の十字架と復活の証人として遣わされているのです。
(by 牧師)